時の蛇口は、僕の意のままに。

今日で3月も終わり。
今年が始まってちょうど90日というところだ。1年の約4分の1が終わったことになる。

年齢を重ねるほどに「時間が過ぎるのが速くなった」と嘆く人が増える印象だが、その「嘆き」の主成分となるのは、消費された時間の長さの割に、自分としてやるべきこと、やりたいことができていないことへの焦燥感、と言えないだろうか。

何を隠そう、僕の場合は完全にそれだった。
毎日、毎時、毎分、毎秒をただ蛇口を開けっ放しにして湯水をシンクに流しているだけのような・・もったいない気持ち。

その水はもう帰ってくることはない。
もっと味わって飲みたかったし、コーヒーを淹れることに使いたかった。
料理だってもっと・・。

そう思いながらも、なすすべもなく、とまらない水流を見つめていた・・。

ところが。
前にも記事にしたかもしれないが、去年(6月くらい)から生まれ変わったように、曲を作っていて、それはほぼ毎日続いている。

ある意味では、「時の蛇口」を自分の力で開け閉めできるようになった。
もちろん、物理的な時の流れは止められない。だが、「たった15分」が創作活動中の頭脳によって1時間も2時間も・・使ったような感覚を得ることができるのだ。
逆に、1時間が一瞬に感じてしまうことも。
だがその「一瞬」は心から自分が満たされた一瞬なので、後悔がない。

人間なので、たまにできない日もあるのだが、三日にあげず、否、2日と空けないように、このルーティンを守っている。そうして、昨年は160曲作り、今年もこの3月末までに140曲あまり。9か月ほどで合計300曲という、我ながら驚きを禁じ得ない数の曲が、僕のノートパソコンに入っている。その事実に、僕は自身への誇りを感じることができる。

その副次的効果なのか、時間が過ぎ去ることへの「嘆き」は消えていった。

これからも、この活動は続けるだろう。
自分にとても合っていると思える行為だから。

時を費やして目指す行先は人それぞれ。パリ北駅にて

そして、まだ自分が知らなかった曲と、出逢えることができるから。
時間が経って聴きなおしてみると、「これは本当に自分が作ったのだろうか?」と不思議になることが多々ある。まるで曲作りをしているあいだ、僕の中に別の人格が入り込んでいたかのようだ。

まさにそれはインスピレーションとも呼ぶべきもので、天から与えられた祝福のように感じる。

それからもう一つ今日書いておきたいのは、この音楽たちはいずれ、今までとはまた違った、ステキなカタチで人々に迎えられ、聴かれることになる・・ということ。
そういうアイデアが空からひらり、と降りてきた。
この3月、そのプロジェクトが静かにスタートしたところだ。

それについてはまたここで、お話することになるだろう。

そのほかにも、いつの間にかプロジェクトがいくつも僕の内部で乱立している。
音源の制作ストアの再オープンイルニェシュタンの完結などなど。
頭の中がせわしなくなってるのはたしか。

でも、不思議なのだ。
僕は全く混乱していないし、すでにそれぞれの進むべき道筋が視えていると思える。
おそらくそれは心からやりたかったことだから・・。
待ち受ける作業は膨大であろうけれど、きっと僕は、やり遂げるだろう。

大事なのは自分のペース。オランダ・アムステルダムの街角で
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