やっつけすぎてしまうことの危うさ

カスハラという言葉がある。
この国では何でもかんでも略すので、何のことかさっぱりわからない。
調べると、「カスタマーハラスメント」のことだという。

カスタマー(顧客)が店で起こす問題行動をこのように呼ぶ。新聞でもこの略語が当たり前に使われている。僕がよく知らなかっただけで、みんな知っている言葉なのだろう。巷には「○○ハラ」はたくさんある。パワハラ、モラハラ・・あ、これらは自分もやられたことがあるヤツだ笑
ほんと、ハラハラさせられちゃいますな。ハッハ。

さてこのカスハラ。
最近、ニュースになっていて気になったことがある。

それが、この投稿のタイトルにもあるように、問題を起こした人をその罪以上に、やっつけすぎてしまう危うさ、というのがあるんじゃないかということだ。

もちろん大前提として、店にいやがらせをやった人間からすれば「ささいなこと」だったかもしれないが、確かに被害を受けたお店にとっては許せないレヴェルのイタズラである。模倣する人間は出てくるし、店のイメージが低下するし、その対応で人件費はかさむし、と。インターネットがあることでここまで大問題化したのは間違いない。

まさにそのインターネットによってまた、その問題の人物は社会的に再起不能になるまで、叩きのめされることになる。個人情報は曝され、家も特定され、まるで人殺しをしたかのような扱いを受けることになる。本人にとどまらず、家族にも間違いなく影響は及ぶ。仕事を失うかもしれない。そうはならなくとも、左遷させられるかもしれない。そうして、一家は離れ離れに・・。いいことなど何もない。

ともかく、やっつけたい側の人々からすれば、「悪い奴は排除しよう!みんな好きにやっちゃって。遠慮はいらないよ~」モードの発動である。

「これはいくら何でもやり過ぎじゃないか」と、誰か顔を出して言う勇気のある人はいるのだろうか?
たとえば、テレビの人とか、政治家とか、SNSの運営側とかに。結局は自分が攻撃の矛先になるのが怖くて言い出せない人がほとんどではないか。
というかメディアなんかは、むしろ煽っている側に回っている感じ・・かな。
「もうそのくらいでやめましょう」「そうですよ」と鎮静化を図る作用はあまりない。煽りたい側が煽るだけ煽り続け、またすぐに次の同じような問題を誰かが起こしたら、それに標的がとってかわられていく。

やっつけるためにやっつける。

これがイジメでなくて何なのだろうと思う。

「ざまあみろ」
一言でいうなら、そう言いたいのだろう。

「罪を憎んで人を憎まず」と昔よく言われた言葉があったが、今それを言ったなら「そうですよねえ」と言いながら裏では「(何を寝ぼけたこと言ってんだ?馬鹿じゃないのか?)」とか思われそう。この、表に出ない本音が、SNSでの彼らの発する言葉になる。

この話を書いていたら、著名音楽家が、過去の雑誌インタビューで語ったイジメ話で巻き起こった問題も記憶に蘇ってきた。

この問題以降、すべての仕事を干され、活動再開はムリではないか、というところまで追い込まれた。でも、戻ってきた。それは彼が長年きちんと仕事や創作活動に向き合ってきたからこそ得られた、叩かれても迎えに来てくれるだけのファンと仕事仲間がいたからである。もちろん、稚拙だった自分の過去ときちんと向き合うメッセージを出したこともある。ファンとは言っても複雑だったはずだから。
そして一番大事なのは、彼自身が「こんなことをした俺が、戻ってもいいんだ」と思えたことだと思う。戻ってほしいという声があっても、最終のところまで追いつめられて心が折れていたならそれも難しかったはず。人は見かけよりもタフでないことが普通だ。

誰も立ち入らせない、心のテリトリーを築き守るべし

攻撃のための攻撃をした人は、そもそもファンではなかった。だから、彼がその問題をきっかけに抹殺されてしまっても、痛くもかゆくもないと思っている。そう、誰かが好きな人やモノが破壊されることに快楽を覚えるヘンジン達。
そういう人間は今彼が活動に戻ったことを憎たらしいと思っているし、今も粗探しをしている。この前も書いたけれど、自分のいる低い、底辺の世界に引きずり込みたくてたまらないからだ。

若いタレントさんが、またひとり命を絶ってしまい、「たくさんの人に愛されているか」はもう関係なく、名前や顔が出ているだけで攻撃の対象になることが明白となった。これは異常であり、そういう事態から守る仕組みが全くないのは、またさらに異常である。

極端な話、100万人単位の愛が、数十人規模の妬みに負けてしまう。
インターネットの闇の力はすさまじい。

きっといろんな人に攻撃を仕掛けている「おなじみのメンバー」がいるのだろう。
そうやって、誰かが命を絶ってしまったことにすら、ニヤついている。

こういう輩はもうビョーキであり、まともな会話が成立しないので、救うことはできないと思う。
死神(ストーカー)みたいなもので、逃げないと危ない。

インターネットのディストピア(暗黒世界)の色濃さはもはや来るところまで来てしまっている感じなのに、政府は手をこまねいている。だからいつも信用できない。
自分たちでやり出した個人カードすらまともに扱えないのだから、お粗末さがわかるというものだ。

今のSNSの誹謗中傷は、命を狙われているのに「自己防衛してください」と言われているのと同じだ。

危うきは近寄らず、というけれど、SNSというエリアが「危うき」となりつつあるのは明白であるし、知らないうちに危険人物が忍び寄ってくることを自覚しておかないと怖い時代になった。だからと言って、委縮して何かをセーブするというのは違うと感じているのだが、かじ取りが難しい。

これからの時代、本当の「おもしろいこと」はインターネットの外で起きるんじゃないかと前も書いたかもだが本気で思う。
今もう、すでにそうなっているのかも。

他人にケチをつけるより、何かを前向きに生み出す人のほうが上等なのは間違いない。

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