David Bowie 76/ Station to Station 仮面を捨て去るとき

今日はデヴィッド・ボウイ76回目の誕生日。

彼の音楽は今も色あせませんね。
彼の死後、時を経るごとにいや増して輝きを放っていくように思えるのは私だけではないでしょう。

生誕76周年ということで、76つながり、1976年の9作目アルバム「STATION TO STATION」を思い出しました。僕もとても好きな作品です。この作品含め、彼についてちょっと書いてみたいと思います。

このアルバム、STATION TO STATIONは6曲しか入っていません。が、1曲目のタイトル曲「STATION TO STATION」が10分と非常に長尺。最初はスローテンポでじわじわ始まりますが、途中で曲調がガラッと変わり、アップテンポに。当時ライブで最も盛り上がる曲のひとつでした。イントロが超長いですが笑

Its not the side-effects of the cocaine
それはコカインの副作用なんかじゃない
I’m thinking that it must be love
これこそが愛に違いない
Its too rate – to be grateful
もう遅すぎる 感謝するには

という弾けたファンクビートでこんな歌詞のサビを高らかに歌い上げますが、この弾け具合は明らかにコカインの副作用による賜物だったのでしょう。当時、この曲に登場する「シン・ホワイト・デューク(痩せた白き侯爵)」をキャラクターとして演じていた彼。見た目はドラキュラ伯爵ですが、ボウイの演じたキャラクターの中で最も危うく、美しい。 主食はコカインとミルク、という荒廃ぶり。
余談ですが、この時のボウイの美しさがひときわ際立っているのは、なぜかこの時代に撮られたヴィデオがあまり存在しないこともそれに一躍買っているかもしれません。写真はモノクロのものばかり。
(この時代の動くボウイを見るには映画「地球に落ちてきた男」を見る必要がある)

後年、ボウイはこのデュークのことを「最も嫌な奴だった」と振り返っていますが、彼自身がキャラクターとの境目を見失いつつあって、このままでは自分の力を吸いつくされてしまう・・こいつは見た目まんまのドラキュラだ!ということだったのでしょう。
やれば何でもトコトンな彼のこと、ジギースターダスト、アラジンセイン、ダイアモンドドッグなど70年代前半からアルバム毎にキャラクターを演じ続けてきましたが、このスタイルはこのあたりでそろそろ限界を迎えていたのかもしれません。とはいっても、たった6年間のことなのですが・・。彼の目まぐるしい変化には驚くしかありません。

それまでと打って変わり、78年の「ヒーローズ/Heroes」。

このヴィデオを見る限り、「素」のボウイで歌っているようにみえませんか。仮面を脱ぎ捨てて、ようやく自分自身になれたかのよう。それでいいのだと、彼自身思えたのではないか。そういう潔さを感じることができるのです。キャラクターを演じることでシャイな自分を隠し、表現としての手段を得ていた、とは本人の談。そういうペルソナは手段としてこそ使っても、必ずしももう必要ないと悟ることができたのです。

だから、僕はデヴィッド・ボウイのもっとも重要な時期はこのヒーローズ時代なのだと思っています。その過渡期、STATION TO STATIONで見た地獄。シン・ホワイト・デュークがボウイ自身を崩壊寸前にまで追い込んだこと。
それをきっかけに彼は拠点にしていたアメリカ・ニューヨークを離れ、ドイツ・ベルリンへ飛んだのでした。つまりそれは、自由から不自由へ敢えて身を投じるということを意味します。余計なものを脱ぎ捨てて、裸一貫にもどること、そして、ドラッグから足を洗うために。当時、ドイツは東西が壁に隔てられていた時代。裕福でドリームな国、アメリカとは何もかもが違う環境です。
「何でもアリ」の虚飾にまみれたロックスターは、質素なアパートに身を寄せ、取り巻きやボディガードのいない生活へ。

Sitting in the Dschungel
On Nurnberger strasse
ニュルンベルガー通りのナイトクラブ
「ジャングル」で座っている

A man lost in time near KaDeWe
カーデーヴェー百貨店の近くで彷徨う男
Just walking the dead
ただ死者のように歩いてる

Where are we now?

66歳、2013年の復帰作でベルリンにいた頃を、このように初めて歌にしました。

とはいえ、ドイツに行ってもしばらくはクスリから足を洗えなかったようですが(たぶんイギーポップを連れて行ったのがいけなかった)、最終的にクリーンになることができました。

それで前出の「ヒーローズ/Heroes」と「ロウ/Low」がベルリンで産まれることになるのです。(ここの時代については話が長くなりそうだから、これについてはまた来年語ろうかな?笑)

ちなみに、2016年の生前ラストアルバム「★(Blackstar)」は「STATION TO STATION」のスタイルを踏襲したものと思います。

★は7曲入りで一曲目のタイトル曲「★」が10分。

ファンの間では「収録曲が7曲と言うのは一般的にアルバムとしては少ない、ボウイは病を患っていたので未完成となってしまった・・」とみる向きがありますが、僕は違うと思っています。1曲1曲に重みがあるし、ラストの曲「I can’t give everything away(すべてを明らかにすることはできない)」を聴けばわかる通り、★はちゃんと完結しているのです。彼は自らに訪れる死を受け入れながら、このアルバムの落としどころを「死して尚、すべて明かすわけにはいかない」と謎めきながらも締めくくっているのです。曲数が多い少ないで推し量るのは、ボウイの場合、横暴になる、かもしれません。

終わりに僭越ながら、我がカノルスによるボウイのカバー曲を一曲。
この曲は1970年のアルバム「地球を売った男/The Man Who Sold the World」のタイトル曲。このアルバムは72年のジギースターダストへ向かって、フォーク詩人からロックスターへと変身を遂げるきっかけになったような作品。陽から陰へ、そしてドラッグの世界へと墜ちていきながらも、芸術性を高めた時代です。まさにカルトなボウイを代表する曲。

それでは、カノルスによるカバーで「世界を売った男」をお聴きください。
(以前公開していたものの再アップです)

ハッピーバースデー、ボウイ!

ムッシュより
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