レイモンドは夜遅く、屋敷を離れて、森に入っていった。
彼は日々の激務に疲れていた。
この後もパーティ。重要な来客があるはずだった。
毎日毎夜途切れることのない来客、彼らとの駆け引き、おべっか、ゴマすり。
終わりのない契約、約款、サイン。分刻みのスケジュール。
もともと彼は自然と戯れることなど好きではなかったし、友人たちの多くが精を出す狩りなどにも興味がなかった。
だから何が彼を森に駆り立てるのか、自分でもわからなかった。
やりたくてそうしているわけではない。
だが、勝手に足が深い森へと、赴く。こんなに奥まで来たことはなかっただろう。
実のところ、
彼は巨万の富を築きながら自分自身に退屈しきっていたのだった。
誰かを純粋に愛するには、人間の醜さを見すぎていた。
毎日毎日金を稼ぐことで心のヒビを埋めていたのだが、それももうほとんど機能しなくなっていた。痛み止めは飲みすぎては効かなくなる。
「まさにそれだ」
彼は森に深く歩み入りながら、つぶやいたのだった。
私は独り身で金もあり、地位もある。
国のトップとだってコネがあり、このままなに不自由なく暮らしてゆけるだろう。
命が絶えるまでは・・。
命が絶えるまで?
このままずっとこんなことを続けていくのだろうか?
あと何年、それが続くというのだろう。眩暈が襲ってきた。
「それは御免被る」
またしてもつぶやいた。
怒気を含んでいた。
灯りも持たずにこんな森深く来てしまった。後ろを振りむくともう真っ暗で何も見えない。
人が歩けるように林道は作られていたが、それにしても暗すぎる。自分が進んでいるのか戻っているかもわからなくなってきたし、つまずいて転びそうになることも増えてきた。
<私 は 死 に 場 所 を 探 し て い る の か ?>
それまで思ってもいなかったそんな考えが、彼の中に降って湧いてきたので、思わず身震いし、歩みが止まった。足がすくんでその場にへなへなと座り込んでしまった。
いやそんなわけはない。
頭の中に霧やら靄のように広がりつつある死という言葉に、わずかながら感じる甘美な響きを否定しながら、彼は再び歩き出した。
先ほどよりも早歩きで、つまずいて転ぶかもしれないのに。
ほどなくして、言わぬことではない、彼は地面から這い出た大木の根っこにつまずき、派手に転んでしまった。
「ちくしょう」
膝を地面に打ち付け、顔にも土がついた。あちこち擦りむいて血がにじんでいるに違いない。
無様だ。身体じゅうがひどく痛む。
だがそれでも、心の傷の方がよっぽど深いのを認めないわけにはいかなかった。たまらない気持ちになる。
このまま倒れたままでもいいや、捨て鉢みたいな気持ちで彼は身を横たえていた。
土と夜の匂いがする。苔むした地面。表面はひんやりさらさらとして安っぽい絨毯のようにも感じる。屋敷にひいてある一級のペルシャ絨毯の模様を思い出そうとするがはっきりとしない。どうでもいいことが脳裏に浮かんでは消えていく。
頭上でアオサギがグワアと鳴いた気がする。
と、同時にパチパチと木の枝が爆ぜる音が、聞こえた気がした。
思わずつむっていた目を開けて前を見た。
焚火?
炎のじんわりとした熱が彼の冷え切った頬を温かくぬくもった。
炎があたりの木々を幽霊のように揺らしていた。踊っているかのように見える。
焚火の灯りは彼の来た道を照らしていた。
ここはちょっとした広場のようになっていて、焚火は祭壇のようにも見える。
人の気配はなかった。
こんな場所があるのを知らなかった。誰が拵えたのだろうか?
彼はようやく身を起こすと、先ほどまでの馬鹿馬鹿しい考えに心からの可笑しさを覚えた。
しばらくのあいだ、力なく切り株になだれ掛かり、せき込んでなどいたが、彼は確実に自分を取り戻していた。彼の瞳には焚火の焔がゆらゆらと映り込んでいた。
はるか頭上でもう一度、アオサギがグワアと鳴いた。