老化と劣化の間にある、大きな違い

人間はある程度長く生きたなら、身体はそれなりに老いていくものだ。
それが道理だし、受け入れられるかは別として、それを拒むことはできない。
だが、心においての老化は「劣化」ともいえ、その人の生き方が問われる。生き方次第によってはある程度、どうにかなる問題だと思うのだ。

複数の人間がひとつの場所に集まる以上、それなりにいいことも悪いことも起きる。
いいこと、いい状態が優勢に続いている限りではそれほど目立たない悪いことも、ちょっとしたことがきっかけでバランスが崩れると、急に水面下から現れて大きな顔をし出す。

そして、決定的なことが起きた時、その場にいる人たちの本音、本性が次々に顔を出す。
残酷なまでにわかってしまうのだ。

信念をもって生きているのか、それとも、
臆病で、卑怯な心根で生きているのか、
が。

実験で使うリトマス試験紙のように、わかりやすくそれを判定する方法がある。

それは、

誰か特定の人間や物を悪者に仕立てることに、安易になびくか、なびかないか、だ。

あなたはどちらだろう?

何かを悪者に仕立てることというのは非常にイージーな方法だが、問題が表面化するときというのはもはや思っていた以上に、根が深い状態だったりする。その「悪者」を取り除いただけで解決することはあまり期待できない。なぜなら、

どんな人や物にも、いい面と悪い面があるから、である。
さらに、その「悪者仕立て」にはバイアス(かたより)がかかっていることが圧倒的に多いから。

例えば、「ビニール袋」。

「エコ、地球温暖化問題解決」の観点から、スーパーなどお店では無料で配布することができなくなった。

僕はこのルールが適用されてから、もらえなくなったビニール袋をあえて、自分で買うようになった。
日々の生活で出るちょっとしたゴミをまとめたり、濡れたものなどをいれるのに便利だからだ。無いと、困る。

たいていのビニール袋には「この袋は燃やしても温室効果ガスを出しません」と書いてあったような気も。そして、これを作ることで生計を立てている人もたくさんいるはず。
このとおり、ちょっと考えただけでも良い面、大事な面もあるのだ。

まあ僕の立ち位置としてはビニール袋の常用者だから、余計に贔屓目に見てしまう部分はあろうかと思うが、もらえなくなった分、買うことにしただけなので僕の生活においては使用量プラマイゼロ。
この状態を政府は目指したかったのか?

もちろん、だからと言って大量のビニール袋を使用・廃棄することに問題がないとまでは言わない。「いろいろ考慮したうえ」の政策なのは当然であってしかるべき。じゃなきゃ変だ。

だけど、どうにも短絡的な感じは否めない。
「悪の元凶はこれだ」と号令のように権力者が言う・・。そしてそれになびく人々、企業。

「そうだそうだ、ビニール袋はやめろ!」

右向け右(Turn the Right)、左向け左(Turn the Left)
Uuuuuuu Fashion! LALALALA・・

ビニール袋を悪人に仕立てた大臣のお父さんも、そういえば「郵政民営化」というプロパガンダで権力を強めたっけなあ・・血は争えない。

何かわかりやすい敵を作り出し、それをみんなに攻撃させることで問題の本質から目を逸らさせる。こういうことは昔から権力者が常套手段でやってきた。
なびく人々も、自分の頭で考えなくていいからラクで、自分が攻撃の対象にならないことばかりを願っている。

僕自身はどうか。

僕はたびたび理不尽に他者から嫌われ、攻撃されることがあるが、それこそがなびいていない証拠だと思っている。自分の頭で考え、行動する。無条件に他者の考えを受け入れない。

とても大事なことだが、

たとえ、「みんなの敵」となっている人間が、僕個人としても嫌悪すべき相手だったとしても、何があったのか、何を思っているか、本人の言い分をきちんと聞く必要がある。
それをする前に刑の執行はなされるべきではない。

裁判で弁護士がつかない、なんてことはこの国ではどんな極悪犯罪人でも起こり得ないことだ。それがまかり通ったら、もはや無法地帯である。

「問題の本質」はどこにある?

それは実のところ、「あいつはみんなの敵だ」と吹聴する輩自身が主原因であることも、ままあると僕は思っている。

自分から目を逸らさせるために、誰か人柱を立てるのだ。
魔女狩り、と言ってもいい。

そういう人間の習性としてよく見受けられるのは、相手の非を責めるばかりで自分の行動はすべて正しい、というスタンスをとることが多いこと。
「攻撃は最大の防御」という言葉を悪解釈している類だ。それだけ、自らに知性が足りないことや臆病者であることを見破られたくない気持ちが働いているのが透けて見える。

生意気だぞ!俺を、私を、バカにするな!

・・いや、別にしてないんだけど。自分に自信がない人ほど、少し痛いところを突かれると、こういう逆恨みをしてきがち。

だから嫌われる笑

自信というのはにじみ出るもの。
誰かに対してマウントをとって示すものではない。

そういう輩は、さらに憎悪をこじらせると、同じような人間を見つけ、エセ仲良しこよしで共通敵を攻撃しだす。闇の軍団よろしくっていうかね。

人間の大きさは、

「自分と意見を異にする人にも、きちんと耳を傾けられるか」

にあると思う。もちろん、顔を見せずに感情論で喚いてくる言葉まで聞く必要はないが。

立場や年齢の上下は関係ない。
行きつくところ、魂の高潔さが問われる問題なのである。

人は老いてなお、高潔でいられるだろうか/スコットランド・サーソー湾にて

「劣化」は本来、人に使う言葉ではないと思うが、魂には使える。
卑怯なことをすると、魂はどんどん劣化する。

裏で人を使って誰かを貶める、というのはもっとも愚劣である。
10倍くらいの速度で劣化するんじゃないか。

最近そういうことをした人の顔を見たが、おぞましかった。
隠し切れない闇は、見た目をも容赦なく変える。
圧倒的な光のエネルギーを帯びた音楽とペンの力で、僕はそういう闇に抗する。
高潔なカウンターパンチだ。まったくもって負ける気がしない。

それに。
闇は闇を養分にするが、いずれ自身をも蝕み自滅するだろうから。

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