ハンバーグをこねながら今年を占う

2023年がスタート。

今年も世界は、激動の一年になりそうな予感。
「世界は」と口にしたとき、今の時代、けしてヒトゴトではなく、むしろ自分にダイレクトに影響が及んでくることが多い。

例えば、あらゆるものの物価が高騰していること。
ここまでくると、以前まで当たり前だった生活のレベルを、落とさなくてはならないところまで来ている。とはいえ、以前からもけして、「裕福」で、「安定的」だったわけではない。

危うい、何かひとつでも歯車が狂ったなら生活は急激に暗転するような時代・境遇を私は、私たちは生きている。小さな過ちですらそれを数百倍に膨らまされて社会的に抹殺される人も珍しくないし、人に物陰から石を投げるような行為を恥じない人間も多くいる。
いじめは悪いと言いながら、それに加担しているという矛盾。

そういう人間性の荒廃の主要因となっているのはやはり生活の不安定さによると私は考えている。
過去数十年以上に渡り、国の政策は国民のために向けられたものとはけして言えないものであると思うが、そのしわ寄せが今、一気に来ているような様相だ。

民もまた、見て見ぬふりをしてきてしまった。
オカシイものを、自身は今困っていないからとオカシイと言わず、なあなあに、また言えないムードを周りにも押し付けてきた。出る杭は打たれ続けた。
本質を知ろうとせず、うわべだけの体裁が整えばよしとし、大事なことは先送りにし続けてきたツケ。つまりは、人を大事にしてこなかった罪と私には思えてならない。

人を大事にしなければ、自分も大事にはしてもらえない。
道理である。

人を大事にしないのに、自分が敬われないことに怒り出す人もいる。
どうかしている。

とまあ、そんな暗い話題ばかりが押し寄せる昨今だが、そんなものはおいしいものを食べてうっちゃるに限る。
手でこねるハンバーグの種には生きるための手ごたえがあった。

しぶとく生き抜いてやろうと思える。

そして、この世界を優雅に乗り切っていくには、好きなことをやめずに続けることだと私は思った。
金が無くてもやりようはある。
鉄を研磨し続けて鋼(はがね)にしてゆくがごとく、できるところから極めればよい。

その精神で行けば、くだらない悲壮感など寄せ付けないで済む。

んー、うま!

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