不正と書いて歪(いびつ)。
でも、みんなが認めるその「正」が歪ではないとは誰も証明できない。
私たちが正としたものは慣例的なもの、知らない誰かの本能的判断によるもの。
私から見ると、世の中で歪とされたものも、正と見えることだって多々ある。
私は押し付けられたくない。
押し付けられた時点で正とされたそれは、醜く歪んだ表情でこちらを見る。
冷たい目つきでこちらを見る。空っぽ。
他方、「歪で美しい」という表現だって私は支持する。
そうなると歪が正でないとはもはや言えなくなってくる。
フルーツのカタチ。
ダンサーのポージング。
溶岩が固まってできたフォルム。
イビツがヒミツを抱いて私たちに訴えかける。