「僕は音楽家である」
いままでは、こっ恥ずかしかったから名乗らなかったけれど、今後はそう言い切っていこうと思う。
ミュージシャン、でもいいけど日本語の「音楽家」の方がしっくりくるかな。
とはいえ今日はちょっと別の話。
音楽家だけど、「それだけじゃイヤ」について・・・。
音楽家なりバンドマンは音楽を奏でることがメインの活動である。
それは間違いないのだが、その「届け方」というのも大変に重要なエレメントであると僕は考える。その考え方は昔から一貫している。ほかの人はどうか知らないけれど。
例えば、高級デパートのブランドショップにアイテムがひとつずつ陳列されるのと、ファストファッションのお店でワゴンセールに在庫オールで出されるのとでは、同じ商品であったとしても印象が全然違うのは誰の目にも明らかだ。
僕からしてみたら、どうせなら前者のやり方でアプローチしたい、と思う。
もちろんそういう場に似つかわしい音楽であることが必要だし、逆に、そういうお高い感じは受け付けない、と「ワゴンセール」を目指すアーティストがいても別にまったく差し支えない。お互いに自分の作品に合わせて好きにすればいいだけのハナシ。
それはともかく、僕が言いたいのは、要は「色気だしたい」ということなのだ。
音楽というメインディッシュにたどり着く間に、どういう店構えで、どんな前菜があり、飲み物がだされるのか・・。
音楽作品においてその演出に大きな役割を担うのが言うまでもなく、デザイン、である。
CD隆盛の時代までは「ジャケ買い」というのがまま見受けられた。今は音楽は配信サーヴィスが主だろうから、同じようなジャケ選びはしているとはいえ、「この勘を信じて・・このCD買うぞ!」という「レジに持っていくときのドキドキ感」や「覚悟」はもはや、ない。失敗しても、「違ったなー、ま、いっか」となる。⇒ここのリスナーのメンタリティが音楽を安くさせてしまった一要因であると思う(これについてはまた今度じっくり考えてみたい)
とはいえ、配信サーヴィスにおいても聴いてもらえるかどうかの大事な分かれ道がやっぱりデザインなのは間違いない(カッコイイデザインが当たり前なのが逆に選び取るのを難しくしているのではあるが)。
だから、デザインがよいうえで、「余白」が必要じゃないか。
つまり、自分以外の誰をも同じステージに登らせないということ。そのためにはやはり自分だけのプラットフォームを持ちたい。
聴き手になるかもしれない人が「あ、よさそうだな」と思ってくれたところで、そのままスムーズに「これ、ください」と言ってもらえるような環境を整えたい。そのためにはそこが心地のよい空間である必要もあるだろうね。
とまあこんなことを考えながら、今5月21日のリリースを目指す音源を作りつつ、それにピタリと寄り添ってくれるジャケデザインをああでもないこうでもないと作っているのである。
音楽を作るように、デザインも作る。
これができることは、僕の強みでもある。
音楽に寄り添う、シームレス(継ぎ目のない)なデザイン。
ライブの演出映像も作りながらだし、近年まれにみる「クリエイティブ多忙」状態。
毎日感性を高められている感じが自分的に嬉しい。それを自分はこんなにも渇望していたなんて。
毎晩眠る前に、ああいうのはどうだろう?こういうのは?と妄想しながら寝るのが日課なのだが、(あっという間に寝落ちするタイプなので覚えてないことも多いけど)幸せだ。
あとライブまで約1ヵ月というところまで来た。
それまでに自分の創作に様々な「答え」を出さなくてはならないし、責任がともなうのだけど、その責任感以上に、どんな答えを自分が出していくのかが、我ながら楽しみで仕方ない。
ぜひあなたもまた、愉しみにしていただけたらと思う。
5月21日のリリース前に、どんなデザインかこのサイトで発表することになるだろうが、見た人に「おお~いいじゃないの~」っていう心の反応を起こさせたい!と願っている。