眠りの世界から、スターウォーズまで

最近、どうも眠い。
身体が眠りを欲してしょうがないようだ。

僕は基本的にかなりの健康体なのだが、これはしっかりした睡眠をとることで維持できているのだと思う。僕はたぶんベッドに入って電気をパチンと消したら、数秒かからず眠りに落ちている。3秒で寝落ちするという、のび太君にも勝つ自信がある(最近じゃ彼は0.93秒までレヴェルを上げたらしい。やるな)。
年に1、2度くらいは、寝入るまでしばらくかかることもあるが、電気を消した後の記憶が全くないことのほうが通常である。だから、ベッドの中で本を読むだなんて、不可能に近い。

それくらいギリギリまでエネルギーを使い切っている、ということではないか。

そういうわけで、起きている時間、どうやら僕はほかの人に比べてもせわしない人・・らしいというのが最近分かってきた。とはいえ、そんなに喋りとか、身振りがうるさい人間でもないので、ほかの人には見た目上はわからないだろうけど・・。

見た目は静かだが、頭の中はフル回転・・ということかな。
僕の頭脳は、いわゆる、止まると死んでしまう回遊魚タイプなのかもしれない。文字通り、寝ている間は死んでいるのだ笑
じゃないと、アクティブな時間がもたないのである。

最近は特に音源づくりに精をだしていたこともあって、結構消耗していたことが、今のこの眠さにつながっているのじゃないかと想像している。

そういえば、今朝方、ふいにこんな言葉が寝ぼけた頭に降りてきた。

「深い闇を照らすだけの光を、手にしなくてはならない」

眠りが浅くなってくる朝方、このようにたまに啓示のような言葉が降りてくることがある。この時間帯、どうも脳波には特殊な電気が流れるのじゃないかと僕は思っている。
ポール・マッカートニーがイエスタデイを作ったのも寝ながらではなかったか。それも今はわかる気がする。たまに寝ながら曲を作っている自分がいるし、素晴らしいアイデアを授かることもある。

で、今朝は上記のような言葉がふいに浮かんだのだ。起きてからもちゃんと覚えていた。
自分が云ったとは思えない言葉で、なぜか説得力があった。

深い闇を照らしうる光・・らしい。

それを聴いて何を思うか。

僕は音楽でいろんなものを表現したいと考えていて、たとえばドビュッシーが波の揺らめきを曲にしたという話はすごく同感できる。

自然現象の表現を突き詰めていくと、目に見えないものも表現したくなる。
特に明るくないもの。物影に隠れているもの。

例えば、不安感や恐怖、人が時に堕ちてしまうダークサイド・・。

そういったものにも、「光」を当てたいのである。

なぜかはわからない。
僕はわかりやすい応援歌は作りたくないのだが、それと同じくらい確固たる意志としてそう思っている。

おそらくそれは僕自身の生き方が密接に関係しているのだろう。

自らが書いた、先のブログの投稿を読んでも我ながら色々とまあ・・苦労している笑

そういう苦労は望んでしているわけではないのだが、自らの生き方やスタンスを貫くとなると、誰かしらの闇を暴いてしまうようだ。そしてそれは、その誰かにとって見過ごすわけにはいかないことらしい。だから、こちらに本気で立ち向かってくる。
普段、柔和な顔をした人が修羅のように変わる瞬間を何度も見ている・・。

そういう闇に触れるにつけ、知らず知らずのうち僕は闇とギリギリな、隣り合わせに生きているのだと気が付いた。
そんなものとはとっとと離れてしまいたいが、そうやって逃げていると自分が自分でなくなる。そういう気もしている。

だからこそ、暗い存在をも理解しなくてはならないと、本能で悟っているのかもしれない。
それはもちろん、闇が深いほど、自らが取り込まれてしまう危険は常にある。

このことは何度か考えていることなのだが、これってまるでスターウォーズの物語のようだと思った。
あの作品は架空の宇宙物語のようでいて、実は人間世界の深層心理をわかりやすく表現した世界ではないかと最近思っている。

「フォースとともにあらんことを」
今朝の啓示は、僕を護ってくれているジェダイマスター、ヨーダのような存在からのメッセージだったのかもしれない。

生きていたら色々面倒もあるけれど、基本的には楽天的な自分。
そのためにもゆっくり寝てから取り組むとしましょうかね。
果報は寝て待てはホントですよ。

あとはちゃんと食べること。ちょっと前に作ったタケノコのパスタ
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