『音も酒も、魂の蒸留アル。それを忘れたら、元も子もないアルからな』
このストーリーに寄り添うサウンド
◇主演/公家サン

グラスの中の氷がゆっくりと形を失い、ARØMのなかへと、過ぎゆく時間のように溶けていった。
若者──名をセイレンと名乗った──は、ステージに飾られたウッドベースをじっと見つめていたが、ようやく顔を前に向けた。
「……父は、音楽をやっていたんです。
でも、僕には一度も聴かせてくれなかった」
カウンター越し、公家サンは手を止めず、レモンの皮を丁寧に削いでいた。
「音楽、というのはな……
時に、愛する人にすら聴かせられないものアル。
それが心の奥で真っ赤に燃えていたなら、なおさらアル」
セイレンはふっと気が抜けたように笑った。
「そんなものですかね……」
そのとき、店の扉がまた静かに開いた。
入ってきたのは、褐色の肌にラスタカラーのスカーフを巻いた男。
片手に工具箱のような化粧箱を抱えている。
「Yo〜、今夜も良い匂いが漂ってるダゼイ、公家サン!」
「おう、ミスタ・ラスタか。例の品、できたアルか?」
ラスタはニヤリと笑い、化粧箱をカウンターに置いた。
ふたを開けると、そこには一本の美しい木製ケースが納まっていた──
まるで小さな棺のように、精巧に組まれたARØM専用の「贈答箱」ボックスだ。
「これは……」と、セイレン。
「父が昔、似た箱を作っていた気がします……。
たしか……あの頃は、町で小さな酒場を開いてた。名は……“オーラム”」
公家サンの表情がわずかに動く。
その名を、彼は覚えていた。
「“オーラム”……あの店のことを知ってるアルか?」
「ええ。僕がまだ小さかった頃・・たった三年だけ営業して、店を閉じたんです。
でも、そこで出された酒は、誰かの心を動かしたって──母がよく言ってました」
そう言ってから、セイレンは静かにバッグから一冊のノートを取り出した。
薄くなった革表紙には、かすかにAuramの文字。
「これは、あの店で演奏された曲の記録です。
父が僕に託していったのです──
『音楽は、燻されるものだ』って、言い残して・・消えた。どういう意味でしょうか?」
公家サンの細い目がにわかに見開かれていた。
「……ご覧になりますか……?」
「……ああ、もちろんアル。今ここで読ませていただくアル。
ARØMの香りは、音の余韻をも呼び覚ますアルから」
ラスタがふっと鼻を鳴らす。
「おいおい、粋なこと言うじゃないかダゼイ、公家サン」
「音も酒も、魂の蒸留アル。それを忘れたら、元も子もないアルからな」
公家サンはノートを開き、オーラムで奏でられた曲名リストを指でなぞった。
ページの端には、メモ書きがいくつもある。最後にこうあった。
>「fF、つまりカノルスが立ち寄った夜。新しい旋律に出会う。ようやく決めた、私はこの店を畳む」
その一文に、公家サンはそっとノートを置いてつぶやいた。
「──やれやれアル、あの男が、また嵐を呼ぶかもしれないアルな」
ストーリーメモ:
水曜の舞台は、バーマンの公家サンが営むKUGE BARにて。人生の悲喜こもごもが、公家サンの静かな語り口調でゆるやかにほどかれていきます。ウィスランから遥か遠い国・ジヴァングからやってきたとされる公家サン。その過去は謎に包まれていますが、ARØMに魅せられてこの国にやってきたそう。
謎めいた青年セイレン。公家サンは多くを語りませんが、何か彼の父について知っていることがありそうです。
次回予告アル
セイレンの父が遺したノート。公家サンがそれを読んでいくうちKUGE BARで不思議なことが起きる・・。
次回、「記憶が震える夜」
BARはかく語りき(第3話)
来週も、お楽しみに!