『まるで、”ヤツが残していった謎を解く鍵穴”のようじゃないか』
このストーリーに寄り添うサウンド
◇語り/セニョル・スウェルト

風が強くなる。
この地では、風の鳴き声が海鳴りと混ざって聴こえる。
まるで大地そのものが、過去の記憶を語り始めるように。
俺は今、蒸留所の古い鍵を手にしている。
父が遺した“あの部屋”──封印された小部屋の扉を、今日、開けるのだ。
ドアの重い音が空気を割った瞬間、
そこに沈殿していた時間が、ゆっくりと動き出した気がした。
棚には手帳、香料瓶、仕込みに使われた記録用紙、
そして…一枚の羊皮紙。
灰色がかったその紙は、今にも崩れそうなほど脆く、
インクがにじんで判読はしづらかったが、こう記されていた。
ARØM N°11 — YYLNYЁSHUTANT(イルニェシュタン)
第四工程:光の音に燻されて(Lusonica Adfumatio)
第五行程:再び出会うだろうこのARØMを目覚めさせるは、十一重の音階をつかさどり、
未知を求むる者の響きを要する
イルニェシュタン・・・どこかで聴いたことがある言葉・・
どこだっけな?
“光の音”。
“十一重の音階”。
“未知を求むる者”。
俺には理解できなかった。
父は音楽家ではないし、音に関する知識など持ち合わせていなかったはずだ。
この言葉は一体、どんな研究で綴られたのだろう?
さらに、羊皮紙の裏に走り書きされたメモに気づいた。
それは、父の筆跡・・・なのだろうか。確信がない。
「もしこの地に、“銀と藍の音”を持つ者が現れたなら──
その者こそがイルニェシュタンを目覚めさせるに違いない!」
イルニェシュタン・・・。
そうだ、アイツが作っていたいた未完の曲の名だった気がする・・・。
銀と藍──シルバーとネイビー。
ヤツの音には、いつも深い海のような暗い藍があって、
その中に、雷光のように鋭くきらめくインスピレーションが混ざっていた。
──まさか、な。
父は、ヤツを知らない。
俺がニウヤク・シティーでバンドをやっていたことさえ、詳しくは話していない。
…だが。
偶然にしては、出来過ぎていやしないか。
まるで、”ヤツが残していった謎を解く鍵穴”のようじゃないか・・。
棚の奥に、小さな試験管があった。
中には液体が少し残っていた。
透明な瓶越しに見えるその液体は、深い青色に銀の光を浮かべて揺れていた。
ゴクリと、つばを飲み込む。
これが……イルニェシュタンなのか?
そのとき、棚の上に積まれたラベル用紙の一枚が風で舞い落ちた。
拾い上げると、そこにはまたしても父の筆跡でこう記されていた。
ARØM N°11
YYLNYЁSHUTANT
「銀と藍のインスピレーション」光の音が、香りを照らす。
香りは、道しるべとなり、神話を呼び起こす
俺は静かに目を閉じる。
心のどこかで、あいつの音が遠くから聴こえた気がした。
いや…
勘弁してくれ。
もう俺は、あいつとはもう出会うことはない。
でも・・。
きっと──そのときは来るのだろう。
銀と藍が交わる場所で。
認めたくないが、それは必然な気がした。
To be continued…
エピローグサウンド
「第2話:記憶のない作曲家」に続きます。
ストーリーメモ:
このお話の舞台は《ウィスラン(Wystland)》という「世界の果て」とも言われる極北の国。世にも美しいネイビーブルーの海に囲まれ、荒々しい波が生んだ断崖絶壁はまるで神々の立ち姿のよう。
この国だけで採れる特殊な原料を使用した「ARØM(アルォム)」と呼ばれる蒸留酒が名産品。このお話の語り部・セニョル・スウェルトはそのひとつのARØM蒸留所の一人息子ですが、もともと大都会のニウヤク・シティーでプロを目指してバンド活動をやっており、サックスを吹いていました。ところが、途中でバンドがとん挫したこと、父が病に倒れたことをきっかけに家業を継ぐため、故郷のウィスランに帰ってきたのです。
スウェルトは、父が亡くなったあと、彼の遺品から見つけたひとつの鍵が「開かずの間」となっていた一室を空ける鍵だと知ります。この部屋で父が秘密裏に研究していたものとは・・そしてその目的とは一体なんだったのでしょうか。