第6話:再会と再開 – イルニェシュタン譚(終)

『俺は、立ち上がって彼の背中に声をかけた。……今なら、君の音を燻せるさ』

このストーリーに寄り添うサウンド

◇語り部/セニョル・スウェルト

ARØMの樽を二つ、KUGE BARの裏口に運び込むと、公家サンがいつものように手ぬぐいで額の汗を拭きながら出迎えてくれた。

「今夜はちょっと特別な夜アル。オープンマイク、久々にやるアルよ。ほら、たまには魂の掃除もしないといけないアルから。おぬしもひと吹きしていったらどうアルか?カッカッカ」

俺は気のない笑顔で応じながら、店内に入った。すでに数組の常連客、演者たちが集まり始めていて、空気には薄く、期待と不安が混じっていた。
ARØMが、ピカピカのグラスに公家サンの手によって注がれるたび、微かに琥珀色の霊気が立ち上る。

ARØM、つくづく不思議な存在だ。
この成り立ちは大変古く、ウィスランの伝説にも登場する。
ウィスランの奥地・オルヴァレイ。霊験あらたかなメトラ修道院があるこの場所には天然の泉が湧き出ている。その泉にヴェスタルの巫女が姿を現しARØMが湧き出た、というのが始まりだと聞いたことがある。

仕入れは終わったが、少し店で飲んでいくことにした。
車は置いていけばいいだろう。

KUGE BARの店内はいつも照明が控えめで、部屋の広さがつかみにくい。
暗がりでは小さなニンフたちがコソコソ会話でもしているかのようなムードがある。ARØMが気化して立ち込め、いわゆる「天使のわけまえ」が店のそこかしこに宿っているからだろう。

この落ち着いた雰囲気に吸い込まれるように、一日の仕事を終えたウィスランダー(ウィスラン人)たちがARØMを飲みにやってくる。
このBARは社交場でもある。今日も例にもれず、盛況だ。

宴もたけなわ、オープンマイクが始まる。
ウィスラン民謡を奏でるフィドル、エスニック音楽、新進のテクノミュージック、ポエトリーリーディング。どれも悪くはなかったが、俺はどこか冷めていた。

それは、ある課題が俺の心のなかで影のように残っているせいだ。
……イルニェシュタンで吹かれるべき、サックスのメロディ。続きがまだわからないのだ。

飲みかけのARØMを煽って、その影を振り払う。
公家サンが忙しそうに給仕するのをぼんやりと目線で追う。
──そろそろ帰るか。

そのころ、ステージでは最後の演奏者の男が、呼び込みもなくふらりと現れ、ギターをケースから取り出していた。
パーカーのフードを目深にかぶり、長旅の疲れと埃を纏ったような男。身なりは良くなかったが、どこか意味深な「重さ」を引きずっている気配があった。

何も言わずに椅子に腰かけ、ギターを構える。

右手を振り上げ、最初のコードを一発。
それだけで店内の空気が変わった。

イントロが流れ出す。

それに呼応するようにキャビネットに飾られたARØMのボトルたちが震え出し、カチャカチャと互いにぶつかりあう。
ポコン、と小さな音を立てて、封じられていた「何か」が蒸気のように立ち昇る。

香り。
色。
記憶。

それは確かに、「あの曲」だった。
あの男の奏でる音と、ARØMが一緒に歌っているようだ。

ステージを凝視する。だが、視線の先にいるのは、もはや一人の人間ではない。
光の粒子のような声、逆光の向こうに漂う影、音が魂を炙り出す炎となって、ARØMに宿る神々を呼び起こすようだ。

俺の頭の中に、途切れていたサックスのフレーズがあふれ出す。決壊するダムのように。
まだ形になっていなかったあの曲の続きを、体の奥が思い出している。いや、そうではない――

今、ここで生まれている、のだ。

狂乱のなか、演奏は終わった。

店内に静寂が戻る。
ただ静かなのではなく、祝福のような空気が混ざり合っていた。
拍手。

男はふらりと立ち上がり、ステージを降りようとする。

俺は、立ち上がって彼の背中に声をかけた。

「……今なら、君の音を燻せるさ」

彼が振り返る。
ほんのわずかな間、フードの奥から目が合った。
その黒目は濃い藍色で、銀色の輝きが宿る。

あの夜とは違う。
今度は、同じ次元にいる。

カウンター越しに、公家サンが言った。

「驚いたアル。一体、これは・・・キミたちは知り合いアルか?」

その夜、俺たちは、“レシピ”の第五段階に入った。

――再会と再開。

To Be Continued…, Somewhere in the Sound.

ストーリーメモ:
舞台はウィスランのバー「KUGE BAR(クゲ・バー)」へ。バーマン「公家サン」がオーナー。彼は遥かジヴァング(Jivangue)国の出身とされるが、過去は謎めいている。彼はウィスラン名産のARØM(アルォム)に魅せられてウィスランの地で店を構えたという。確かな目利きによる彼のARØMセレクトはウィンスランダーたちの舌をうならせる。

公家サン

ついにスウェルトとカノルスが再会を果たし、物語が急展開。
6話に渡ってお届けしてきた、「イルニェシュタン譚」は一旦ここで終幕ですが、これは始まりにすぎません。ムッシュ・カノルスをはじめ個性豊かなキャラクター達がこの先も登場。fFcanorusの音楽が彩りを添えながら、ストーリー展開していく予定。ぜひお楽しみに!