イルニェシュタンのリリースから1か月。
今日、本を読んでいて「イニシエイション(通過儀礼)」と語感が似ていることに気が付いた。
たしかに、この作品は自分にとってある意味、度胸試しのようなものかもしれない。難産ではあったが「オトコ」になるために、どうしても作らねばならない作品であった。そのくらいの自負はある。
大変であっただけ、リリース(解放)というのは気分がいいものだ。
自分が精魂込めたものを、「えいっ」とどこかへと放つ瞬間。
放った矢はどこへ飛んでいくか誰にも予想がつかないのだけれど。
何かに対して大きな影響を与えるかもしれないし、静かに死んでいくだけかもしれない。またはその両方かもしれない。
ノーコントロール。
便りは、届かない
解放、リリースというと昔、小学校の修学旅行のことを思い出す。
クラスで長いこと世話していた鳩2羽を一緒に連れていって、海辺で「さあ、飛んで行け」と空へ放ったのである。
彼らは勢いよく飛びあがっていった。
先生はじめ、生徒たちも皆、いつか自分たちの教室まで帰ってくると信じていた。伝書鳩というのもいることだし、帰巣本能で世話していたボクたちの元へ帰ってくるに違いない、と。
きっと帰ってくる、いや絶対。口々に皆そう言い合った。
だけど、鳩は戻っては来なかった。
しばらくしたら、子どもたちの話題にもそのことは挙がらなくなっていたけれど。
あれから彼らがどこへ行き、どんな生涯を送ったのかはわからない。
もしかしたら、最初は世話をしてくれた生徒たちのもとへ帰ろうと思ったのだが、途中であまりにセクシーな異性の鳩に出会って気が変わったのかもしれない。それとも、天敵に襲われて志半ばで「無念」と生き倒れたか。
単純に、食べ物をくれる観光客いっぱいの公園に、楽園を見出したのかも。
すべては想像の域を出ない。
「便り」は届くことはない。
でも、大事に育ててきた鳩を放ったあの瞬間は、私にとって快感に満ちていた。
その記憶が鮮やかに残っている。
時々、なぜかその時のことを思い出す。
拘らずに、手放す。
いや違う、徹底的に拘って手放すのがいい。
あとのことはなりゆきにまかせて。
放たれた瞬間、海の強い風に負けないように、鳩たちは必死に羽ばたき、そして自由を獲得した。
先のことなんて、その時は考えられなかったろう。